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佐賀地方裁判所 平成元年(行ウ)1号 判決

原告

大坪敏夫

右訴訟代理人弁護士

河西龍太郎

被告

地方公務員災害補償基金佐賀県支部長

井本勇

右訴訟代理人弁護士

日野和也

主文

一  被告が原告に対し昭和六二年四月一八日付でした地方公務員災害補償法に基づく公務外災害認定処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

主文と同旨

第二事案の概要

一争いのない事実等

1  原告(昭和一四年九月七日生)は、佐賀市消防本部に勤務する消防吏員であるが、昭和四四年八月八日午前一一時四五分ころ、佐賀市松原三丁目旧国道三四号線佐嘉神社角交差点において、消防車の後部ステップに乗り、火災現場へ緊急出動中、右交差点南側から北進してきた坂井登運転のタクシーを避けようとして右消防車が道路北側の信号機柱に激突横転した際(以下、右事故を「本件事故」という。)、路上に投げ出され、下顎骨骨折、下腿骨骨折、右足関節捻挫、歯牙欠損(以下、「初発傷病」ともいう。)の傷害を負った。

2  被告は、地方公務員災害補償法(以下「地公災法」という。)に基づき、原告の右各傷害を公務上の災害であると認定した。原告の右各傷害は、昭和五二年六月三〇日までにすべて治癒し、同年九月一二日までに総額一六一万五一二一円が療養補償として被告から支給された(〈書証番号略〉)。また、原告は、本件事故の加害車両の運転者坂井登との間で、昭和四五年八月三一日、本件事故により原告が被った損害の賠償について示談し、同人から示談金として治療費三三万五五〇〇円及び慰謝料一六万四五〇〇円合計五〇万円の支払を受けた(〈書証番号略〉)。原告は、昭和四六年二月ころ、本件事故に基づく後遺障害(一二級)についての損害賠償として自賠責保険金三一万円の支払を受けたため、地公災法五九条により、被告からの障害補償給付は受けなかった(〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨)。

3  前記歯牙欠損の内容及びこれに対する治療は次のとおりであり、昭和四五年四月末ころまでに右治療が終了し、被告は原告に対し同年一二月二五日右治療を行った江口歯科医院の治療費一九万二二〇四円を療養補償として支給した(〈書証番号略〉)。

(1) 歯牙欠損の内容

上顎部の損傷

① 右側中・側切歯、左側中・側切歯外傷による歯牙脱落

② 右側上顎犬歯外傷による顎骨内脱臼陥没

③ 外傷による歯槽及び軟組織損傷下顎部の損傷

右側側切歯より左側側切歯まで下顎骨外傷による骨折

(2) 治療

上顎部に関する治療

① 右側犬歯抜歯

② 軟組織の縫合

③ 上顎五歯の欠損に対し、右側第一、第二小臼歯、左側犬歯、第一、第二小臼歯を支台歯とし、欠損部はレジン前装ダミーとする白金加金架工義歯(以下「本件義歯」という。)を装着

下顎部に関する治療

① 印象を採得してシーネを製作し、骨折部の暫間固定

② 約一ケ月後に固定を撤去

4  原告は、昭和六一年一一月一七日、江口歯科医院で受診し、本件義歯破損(以下、「本件傷病」という。)と診断された。そして、早急に本件義歯を除去して新しい補綴物を製作装着する必要があると指摘された。(〈書証番号略〉)

5  原告は、被告に対し、昭和六二年二月一八日、地公災法に基づき本件傷病につき公務災害の認定請求をしたところ、被告は同年四月一八日、本件傷病を公務外の災害(再発には該当しない。)と認定した(以下「本件処分」という。)。

原告は、右認定を不服として、同年六月五日、地方公務員災害補償基金佐賀県支部審査会に審査請求をしたが、同年一一月二六日、右請求が棄却されたため、更に同年一二月二二日、地方公務員災害補償基金審査会に対し再審査請求をしたが、昭和六三年一一月九日、再審査請求棄却の裁決がなされ、平成元年一月一九日右裁決の送達を受けた。

そこで、原告は、同年四月一八日、本件処分は違法であるとして、その取消しを求めて本訴を提起した。

二争点

本件の争点は、本件傷病が初発傷病の再発と認められるか否かであり、この点に関する当事者の主張は次のとおりである。

1  原告の主張

原告は、本件事故により歯牙を欠損していなければ本件義歯を装着する必要はなく、本件義歯を装着していなかったならばその摩耗等による本件傷病も生じなかったから、本件傷病は初発傷病の再発と認められる。

2  被告の主張

療養補償の対象となる傷病の「再発」とは、一旦治癒とされた者について、その後にその傷病またはその傷病と相当因果関係をもって生じた傷病に関して、再び療養を必要とするに至った場合、すなわち、① 自然的経過により症状が悪化した場合、② その傷病の原因となった事故及びその傷病と相当因果関係をもって別の傷病が発症した場合、③ 治癒と認定した後に医学の進歩などにより医療効果が期待されうるようになった場合、をいう。

本件の場合、初発傷病は昭和四五年四月末ころ本件義歯の装着によって治癒したものである。これは治療により完全に治癒した場合とは異なり、所謂症状固定により障害を残して治癒したのである。そして、障害については、「三歯以上に歯科補綴を加えたもの」(一四級二号)として障害補償がなされた(但し、自賠責保険から原告に対し一二級の後遺障害に対する損害賠償金として金三一万円の支払がなされたため、地公災法五九条により、被告からの障害補償給付はなされなかった。)。

結局、本件傷病は、架工義歯を装着した場合に通常予想される範囲内のものであり、障害補償によりカバーされるべきであって(更に、原告は、本件事故の加害車両の運転者坂井登との間で、昭和四五年八月三一日、本件事故により原告が被った損害の賠償について示談し、示談金の支払を受けているが、原告は、右示談により、架工義歯を長期間使用して生じる摩耗等による損害についても、通常予想される損害として、賠償を受けているのである。)、特に症状が悪化したものとはいえない。また、本件傷病は治癒後一七年という長期間の経過により、加齢による歯肉の退縮や、日常生活における長期間の使用による摩耗によって寿命切れとなって生じたものであって、本件事故と相当因果関係が認められる別の傷病の発生ともいえない。そして、医学の進歩などにより医療効果が期待されうるようになった事情も認められないから、本件傷病は初発傷病の再発とは認められない。

第三当裁判所の判断

一本件傷病の内容

本件傷病は、前述のとおり本件義歯の破損であるが、その内容は、欠損部ダミーの前装レジンの摩耗による破損及び上顎左第一小臼歯の支台冠の頬側に摩耗により二か所穿孔があるというものであり、そのため、咬合状態が不良であることに加え、時々右歯が冷水にしみることがあり、その歯を含めた支台歯四本(上顎左右の第一、第二小臼歯)について歯髄充血の疑いが認められ、これをそのまま放置しておくと歯髄炎に発展する可能性が高いのであって、歯髄充血の疑いに対する処置としては、不良になった本件義歯を除去して支台歯の状態を肉眼やレントゲンで検査し必要な処置を施したうえ新たに義歯を作り直す必要があることが認められる(〈書証番号略〉、証人後藤昌昭の証言)。

二再発の有無

1  地公災法は、職員が公務上負傷した場合に療養補償給付を行う旨規定している(二五条ないし二六条)。療養の範囲についは、療養上相当と認められるものとされており(二七条)、治癒(医学上一般に承認された治療方法によっては傷病に対する療養の効果を期待しえない状態(療養の終了)となり、かつ、残存する症状が自然的経過によって到達すると認められる最後の状態(症状の固定)に達したこと)の時点で障害が残っている場合には障害の程度に応じて一定額の障害補償給付が行われることになる(二九条)。

しかしながら、一旦治癒と認定された場合にも、その後傷病が再発した場合は、公務上の災害として療養補償給付の対象となるというべきであって、再発と認められるためには、右治癒の意義及び障害補償給付の趣旨に照らし、(1) 現傷病と公務上の災害である旧傷病との間に相当因果関係が存在すること、(2) 現傷病の症状が旧傷病の治癒時の症状に比して増悪していること及び(3) 治療の効果が期待できることが必要であると解するのが相当である。

2 そこで、以下、本件傷病が初発傷病(歯牙欠損)の再発と認められるか否かについて検討する。

(1)  まず、因果関係について検討するに、人工的な架工義歯は、装着時と同じ状態を保つのは約三年間であり、歯肉の状態や咬合の状態の変化、金属の摩耗等によりこれを作り直す必要が生じてくること、加工義歯の耐用年数は、義歯を作る段階での歯牙の状態にもよるが、一般的には一〇年から二〇年位であり、本件義歯はすでに寿命を全うし、新たに作り直す必要性があること、原告の口腔内の歯牙の状態は日本人の五〇歳代の男性としては比較的良好の部類に入ること、が認められる(〈書証番号略〉、証人後藤昌昭の証言)。

ところで、生歯の損傷が公務上の災害に当たり、補綴治療により装着された義歯が破損した場合においては、その原因が別の事故、口腔内の管理不良又は高齢に達したこと等仮にこれが生歯であったとしても生じたであろうような事由であるときは格別、それが義歯固有の耐用年数の経過によると認められるときは、右義歯の破損と当初の生歯の破損との間には相当因果関係が存すると解するのが相当である。

そして、右認定事実及び前記争いのない事実等を総合すると、原告の場合、初発傷病である歯牙欠損に対し歯科補綴(架工義歯の装着)の治療がなされたが、架工義歯が耐用年数の経過により破損して本件傷病が生じたものということができるから、初発傷病と本件傷病との間に相当因果関係があるといえる。

(2)  次に、症状の増悪について検討するに、以上認定の事実及び争いのない事実等によれば、原告の症状は、初発傷病の治癒時点においては、加工義歯を装着して療養を尽くした状態であったが、本件傷病により、咬合状態が不良になっているほか、加工義歯の支台冠の穿孔により支台歯が冷水にしみるようになって歯髄充血の疑いがもたれ、新たに義歯を作り直す必要が生じているのであって、本件傷病は初発傷病の治癒時点に比して症状増悪していると認められる。

(3)  最後に、治療効果が期待できるかどうかについては、前記一に認定したように、不良になった本件義歯を除去して支台歯の状態を肉眼やレントゲンで検査し必要な処置を施したうえ新たに義歯を作り直すことによって、歯髄充血の疑いに対する治療を行うことができ、また、咬合状態も現在の口腔状態に適合した良好なものにすることができるのであって、治療効果を期待できるといえる(第二回原告本人尋問によれば、原告は、現に、平成二年一一月から平成三年二月にかけて、佐賀県立病院好生館において、新たに架工義歯を作り直してもらったところ、約五〇万円の治療費を要したが、以後冷水等がしみることはなくなり、また、咬合状態も良くなったことが認められる。)。

(4)  以上によれば、本件傷病は、再発についての前記三要件をいずれも充足しており、初発傷病の再発と認められるから、初発傷病の原因である本件事故と本件傷病との間に相当因果関係があるといえる。従って、本件傷病は公務上の災害に該当する。

3  ところで、被告は、本件傷病は、架工義歯を装着した場合に通常予想される範囲内のものであり、障害補償によりカバーされるべきであって、再発とは認められない、と主張するので検討する。

前記1にのべたとおり、公務上の災害による傷病が治癒したときに身体に障害が残っている場合には、その障害の程度に応じて一定額の障害補償給付が支給されることになる。ところで、障害補償給付は、身体障害の程度に応じて一般的な平均的労働能力の喪失を一定額の金銭を給付することによって填補するものであり、原告の場合についていうと、四歯の欠損に対し歯科補綴を加える治療を受けて治療は終了したが、生歯四歯が失われて義歯となる障害を残したことによる、換言すれば、適切な義歯を装着した状態での一般的な平均的労働能力の喪失を障害補償給付で填補されたものであると解されるのであって、義歯を装着した場合に通常予想される将来の義歯の作り直しに必要な治療費をも含めて填補していると解するのは困難である。右解釈は、「三歯以上に対し歯科補綴を加えたもの」(一四級二号)の障害補償給付の金額が平均給与額の五六日分に過ぎず(地公災法二九条。昭和四九年改正前は五〇日分。)、将来の義歯の作り直しの治療費(前記認定のとおり、平成三年に原告が義歯を作り直したときの治療費は約五〇万円であった。)をも含んでいるとするには少額過ぎることからも肯定することができる。

なお、被告は、原告は、本件事故の加害車両の運転者坂井登との間で、昭和四五年八月三一日、本件事故により原告が被った損害の賠償について示談し、示談金の支払を受けており、これにより、架工義歯を長期間使用して生じる摩耗等による損害についても、通常予想される損害として賠償を受けているから、本件傷病を再発と認めるべきではない、とも主張する。しかしながら、賠償をすでに受けたかどうかは、療養補償請求権の消滅に関することがらであって、公務上の災害の認定に影響を与える問題ではないから、右主張は失当である。

4  なお、わが国の災害補償制度において、義歯がどのように位置づけられているかみると、健全な四肢を有していた者が公務(業務)遂行中の事故によりこれを切断して義肢を必要とする場合やすでに義肢を装着していた者が公務(業務)遂行中の事故によりこれを破損した場合には、義肢は、義務として行われる「補償」としての療養補償給付または療養給付ではなく、裁量により行われる「福祉施設」(労働福祉事業)として支給することとされているのに対し、義歯を公務(業務)遂行中の事故で破損し、新たに補綴または修理するのは「補償」としての療養補償給付または療養給付の対象とされている。これは、義歯は、義肢等の身体障害の補助具と異なり、むしろ生歯に近いものであり、これを破損した場合は咀嚼力が低下し消化器官を損なうなど健康に重大な影響を及ぼすことにもなるところから、必ず補綴を行うべきものとされているのである(昭和二四・一・二二基災発第二七号)。この取扱いは、わが国の各災害補償制度を通じ長年定着している(弁論の全趣旨)。このように、義歯はその健康上の重要性故に義務として行われる「補償」の対象となっていることに鑑みると、生歯を公務遂行中の事故により失ったため義歯を用いざるをえなくなったところ、その義歯が義歯固有の耐用年数の経過によって破損し、これを作り直す必要が生じた場合は、まさに公務遂行中の事故により生歯を損傷したがために治療が必要となったのであるから、前述のとおり、公務上の災害として療養給付または療養補償給付を行うべきである。

人身事故による損害賠償において、将来手術ないし治療することが必要かつ確実なもの及び義歯等相当期間で交換の必要があるものの費用は事故と相当因果関係を有する損害として認められていることとの対比においても、右のように解するのが相当である。

三結論

以上のとおり、原告の本件傷病は公務上の災害と認められるから、これと異なる認定を行った被告の本件処分は違法としてこれを取り消すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官生田瑞穗 裁判官岸和田羊一 裁判官青木晋)

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